不安定な母親を子どもながらに支え、誰にも助けを求めることなくヤングケアラーとして生活をしていたAさん。
本来なら負うべきものではないものまで背負い、一人で頑張ってきた状況は、まさに現在の日本が抱えるヤングケアラーの象徴のようです。
Aさんがどんなきっかけでヤングケアラーを脱することができたのか、今Aさんが伝えたいことは何なのか…全3回の最終回をお届けします。
前回までのあらすじ
両親の離婚によりひとり親家庭となったAさん。
Aさんと一緒に暮らす母親は精神的な疾患を抱え、Aさんは小学生の頃から家事と介護を行うことになります。
中学生になった頃、Aさんはようやく自分の家の問題に気付き始めますが、希死念慮を口にする母親を失ってしまうのではないかという恐怖から、誰にも相談できずに日々は流れていきます。
いよいよ中学卒業後の進路相談を行う時期に、当時の担任の先生がAさんに手を差し伸べたことで、Aさんの人生は大きな転換期を迎えることになります。
Aさんがヤングケアラーを脱することができたきっかけ
ヤングケアラーとして約9年間、Aさんは一人で家庭の問題を背負っていました。
中学の担任の先生が差し伸べてくれた手は、Aさんの人生を大きく変えていきます。
スクールソーシャルワーカーへの相談
「放課後の呼び出しから2日ぐらいたったときに、担任の先生はスクールソーシャルワーカーの先生を交えて、ぼくの面談をしてくれたんです。よほど急を要する案件だと思ったのでしょうか、すでにいくつかの解決策をスクールソーシャルワーカーの先生は用意していました。助けを求めることはおかしなことじゃない、今の状況の方が問題なんだと何度も言われました。」
-ソーシャルワーカーの先生には何でも話せた?
「1対1だったら無理だったかもしれません。でも、担任の先生がつきっきりでいてくれて、『何でも話して良いんだ』『不安なこと、困ってることを言って欲しい』って背中を押してくれたので、少しずつ話すことができました。」
-少し気持ちは軽くなった?
「気持ちが軽くなったというよりは、母はどうなるんだろうと思いました。この頃は体調も機嫌も悪くて、しょっちゅう怒鳴るような状態だったので、もしかしたら母がどうかなるんじゃないかと不安の方が強かったです。」
-話して良かったと思う?
「それは思いますよ。だってあの時話していなかったら、ぼくはずっとヤングケアラーだっただろうし、母はもしかしたらどんどん悪化して、本当に自殺していたかもしれません。すごく勇気のいることだったけど、話しているうちに何か良い方法があるのか?それは自分が知らなかっただけなのか?と思い始めたんです。」
学校の先生を中心とした支援の広がり
「スクールソーシャルワーカーの先生との面談のあとは、あれよあれよという間に話が進んでいきました。母は病院での治療が必要な状況だと言われ、病院の先生が訪問で診察をしてくれました。母の状態があまりに悪かったこと、すでに普通の生活ができる状態ではなかったことから、すぐに入院の措置が取られました。ぼくは引き受けてくれる身寄りがなかったので、本当なら施設などに入るはずだったんですが、とりあえず中学卒業までは担任の先生の家に行くことになったんです。」
-担任の先生の家に?
「はい。卒業まで間がなかったことと、就職先が住み込みで働けるところだったので、とりあえずは先生の家でってことになりました。初めて先生の奥さんが作ったご飯を食べたとき、家で食べるご飯がこんなに美味しいんだって思ったのを覚えています。」
-本当に良い先生にめぐり会えた
「入学当時から好きな先生ではあったんですが、こんなに生徒の親身になって話を聞いてくれる人だとは思いませんでした。担任になったのは3年生が初めてだったので、1年生の頃から気にかけてくれていたと聞いたときは、本当にびっくりしました。」
親には公的支援が必要だと知った瞬間
「入院した時点で、母の状態は非常に悪かったそうです。とてもじゃないけれど働いたり育児をしたりできる状態ではなかったと言われました。父への連絡も試みたそうですが、結局行方知れずでダメだったそうです。母はそのまま病院へ入院しました。生活保護を受けられることを教えてもらって、市役所の福祉課の人にお世話になりました。」
-お母さんはギリギリの状態だった?
「そうですね。ぼくがあのまま誰にも助けを求めずにいたら、本当に最悪なことになっていたかもしれません。公的支援という方法を、当時のぼくはわからなかった。中学生には難しいことだって言われたけど、誰かにもっと早くSOSを出せていたら、専門家のアドバイスを受けられたんでしょう。母は今でも入院していて、最近は軽度の認知症も発症してしまったので、これから先は一緒に暮らすことは難しいかもしれないと言われています。」
Aさんが今になって思うこと
壮絶な子ども時代を過ごしたAさん…大切なお母さんを守りたい一心で、家事・介護を一人で担ってきたAさんが、今になって思うこととはどんなことなのでしょうか?
SOSは誰かが聞いてくれること
「自分の手に余る問題が起きたとき、内容によっては相談しにくいこともあります。でも本当に困ったときには、助けてくれる人が絶対にいるんです。身内じゃなくても学校の先生や役所の人たちにぼくは助けてもらいました。でも自分でSOSを発信することができなければ、周りの人も支援の方法がわからないんです。絶対にSOSは誰かが聞いてくれるということを伝えたいです。」
自分の受けられる支援を知ること
「子どもの頃はわからなかったけど、自分が困ったときに受けられる支援や解決策を知ることは、とても大切だと思います。ぼくの場合も、母親は『病院は金がかかるから』といって、診察にも行かず病状をどんどん悪化させてしまいました。でも病気になったら診察を受けることはできるし、そのための方法や支援もありました。母は入院できたことでずいぶんと気持ちが落ち着いたようです。わからなければ聞けばいい。そんな簡単なことだけど、なかなかできない。でも勇気を出してみることで、思わぬ解決策が見えてくるんです。」
家庭で解決できない問題は絶対にある
「家庭内で起きる問題でも、家庭で解決できない問題は絶対にあると思います。最近ニュースで増えているDVとか虐待とかは、絶対に家庭内では解決できないし、最悪の結果を招くこともあります。ぼくは『家庭の問題は自分で解決する』って思い込んでいたけれど、今では無理だったなとわかるんです。自分で何とかしようというのは悪いコトではないけれど、自分一人で背負うことは絶対に正解じゃないということはみんなに伝えたいです。」
最後に
Aさんは中学卒業後、新聞配達の住み込みで働き、現在は特別養護老人ホームで介護職員として働いています。
Aさんのお母さんはかなりの重症だったようで、今でも入院生活を余儀なくされていますが、Aさんは『母のことは別に嫌いじゃありません』と話してくれました。
しかし、Aさんが抱えてきた不安・恐怖・悩みなどは、決して見過ごして良いものではありません。
厚生労働省の調査では、公立中学2年生の5.7%(約17人に1人)・公立の全日制高校2年生の4.1%(約24人に1人)が『世話をしている家族がいる』と報告されています。
Aさんは「自分は中学生で解放されたけど、もっと長い期間苦しんでいる人は必ずいる」と言っていました。
今回の取材で浮き彫りになったヤングケアラーの実態は、想像を絶するものでしたが、決して目をそらさず社会全体で取り組んでいかなければいけない問題なのだと、実感させられました。