事例集

【取材】毒親の介護・感じ続けた違和感と向き合ったきっかけ

親の介護は子どもがするもの…暗黙の了解のように当たり前になっていることも、親子の関係性によっては悲劇を引き起こすことがあります。

毒親とは、子どもを支配したり傷つけたりすることで子どもにとって『毒』になる親のこと。

この記事は毒親である母親の介護を通して葛藤した女性の体験談です。

親の介護という一般的な問題以外に、さまざまな感情と闘った女性の人生をご紹介しましょう。

Kさんのプロフィール

毒親の介護という問題に直面したのは、Kさんという40代の女性です。

数年前まで折り合いの悪い母親の介護に苦しめられていました。

Kさんはどんな人生を歩んできたのか、プロフィールをご紹介しましょう。

Kさんを取り巻く状況

  • Kさん:40代女性・一人っ子
  • Kさんの母親:20代後半でKさんを出産・Kさんを出産直後に離婚しシングルマザーに・精神的に不安定
  • Kさんの親戚:母親が親戚と疎遠になっていたため付き合いは一切ない

地方都市のひとり親家庭

Kさんの出身は首都圏からほど近い地方都市です。

父親はおらず、物心がついた頃から母親と2人の生活を送っていました。

Kさんにとって母親と2人の生活が当たり前…父親の不在に疑問を感じてはいたものの、高校を卒業するまでは一つ屋根の下で暮らしていたのです。

母親は気性が激しく、周囲とトラブルを起こすこともあり、親戚とは疎遠になっていました。

近所付き合いもなく、Kさん自身も『私はあまり人付き合いが上手ではない』と感じてしまうほど、孤立した生活だったそうです。

幼い頃から感じていたこと

Kさんは母親に対して、幼い頃から『怖い』と感じていたそうです。

その理由はKさんの母親が感情を爆発させることが多く、子供心にもどう対処したら良いのかわからないときがあったからです。

泣きわめく・物に八つ当たりをする・「嫌い」「産まなきゃよかった」などの暴言…枚挙に暇がないほどKさんに感情をぶつけてくる母親でした。

そんな母親に対して、Kさんは俗にいう『お母さん大好き』とは言えない感情を抱えていました。

しかし当時は、自分だけではなく「他の子の『お母さん』も同じなんだろう」と信じていたそうです。

母親が毒親だったと気付いたとき

Kさんが成長するにつれて、母親の異常性は顕著になっていきました。

Kさんも小さい頃にはわからなかったことが、年々理解できるようになってきて、自分の母親は他の母親と違うのではないか…という疑問を持ち始めます。

離婚原因は母親の浮気

Kさんが中学生の頃、母親の友人が家に遊びに来たそうです。

大人同士の話に入らない方が良いのはわかっていましたが、そこは狭い家です…話し声はKさんの部屋までしっかりと聞こえてきました。

友人と母親の話を聞いていたKさんは、両親の離婚の原因が母親の浮気にあったことを知ってしまいます。

さらに父親と結婚する前から現在に至るまで、奔放に生きてきた母親の一面を知ることになり、年頃のKさんは嫌悪感を隠せなかったそうです。

バイト代を母親が搾取

母親への嫌悪感を募らせたKさんは、アルバイトをしてお金を貯め、一人暮らしをしようと決めました。

高校は私立には行かせてもらえず、家から近い公立高校へ進学。

将来のためにアルバイトを始めますが、この頃から母親が本性を現します。

Kさんのアルバイト代から生活費を入れさせるようになり、他にも「今月は○○だからお金貸してくれない?」などと、金銭の無心をするようになったのです。

Kさんのアルバイト代は1ヶ月6万円程…そこから生活費を4万円出させ、家に入れるお金をちょっと減らしてほしいとお願いしたものの、一切聞き入れてくれませんでした。

独立させない母親

それでもKさんは、頑張ってアルバイトを続けて、少しずつ貯金をしていたそうです。

高校2年生の頃、学校で進路相談があり、Kさんは奨学金をもらって進学する方法を担任の先生に相談していました。

しかし母親の出した答えは、就職。

当時は地方都市ではなかなか就職先がなかったにもかかわらず、学校側へ「家から通える距離の就職先を探してほしい」と言い出したのです。

Kさんは必死に抵抗したものの、保護者の同意を得られないということで進学の話は白紙に…。

「あんたが働けば、私が楽になる」「女が大学なんかに行ったってロクなことはない」など、Kさんの夢を打ち砕く呪縛が続き、疲れ果てたKさんはそのまま地元で就職することになります。

さらにKさんが貯めてきた貯金を「もう働くんだから良いでしょ?」と搾取するようになりました。

介護状態になった母親との日々

Kさんは学校を卒業して就職しても、母親の呪縛に苛まれます。

休日の外出や友人との外食なども制限され、がんじがらめの状態は10年以上続きました。

しかしKさんが30代の初めに、母親は不摂生がたたったのか脳梗塞を起こし、介護状態になってしまうのです。

やって当たり前

Kさんの母親は命こそ助かったものの、後遺症で右半身のマヒが残りました。

仕事も辞めざるを得なくなり、Kさんの収入で生活をするようになります。

身体にマヒはあるものの、言葉は達者で性格も変わらず…仕事・家事・介護でヘトヘトになっているKさんを労うどころか「あんたは私の娘なんだから、私の面倒を見るのは当たり前」と今まで以上にKさんを束縛するようになりました。

親の面倒を見るのは娘の義務

Kさんはこう言います。

「親の面倒を見るのは子どもの義務という暗黙の了解がありますが、あれは子どもの自発的な気持ちが基盤になっているんじゃないでしょうか?私は母のことを好きではなかったし、ただの苦痛でしかありませんでした。」

母親は「あんたは父親に似て不細工なんだから結婚はできない」「もし男ができてもあたしのことを一人にするのは絶対に許さない」など、呪文のようにKさんを否定し続けます。

「自分の人生なんてどうでも良い…」と諦める反面、早く母親がいなくなってくれれば…などと考えてしまう日もあったそうです。

光を見出せた瞬間

Kさんの地獄のような生活は、思わぬ救世主によって光を見出せることになります。

Kさんの苦しみを理解し、さまざまな支援を提案してくれた人とは誰だったのでしょうか?

ケアマネジャーはKさんを案じていた

Kさんの母親は介護認定を受けていました。

介護に関するサービスの提供を教えてくれていたのが、ケアマネジャーのAさん。

リハビリへの通所や福祉用具の貸与などを頑なに嫌がるKさんの母親に根気強く接し、Kさんの母親の性格や2人の生活状況などをしっかりと把握してくれていました。

ある日、KさんはAさんと偶然町で会い、こう言われたそうです。

「お母さんの介護、大丈夫ですか?」

何気ない一言だったのかもしれませんが、Kさんにとって自分を案じてくれる言葉をかけてくれたのはAさんが初めてでした。

「娘さんがすべてを背負うことはないんですよ。そのための介護保険制度なんですから。」

KさんはAさんに少しずつ悩みを話せるようになり、AさんはKさんのよき理解者となっていったのです。

一歩踏み出す勇気

AさんはKさんの話を絶対に否定せず、子どもの頃からの話を丁寧に聞き、「あなたは残念ながらお母さんに支配されてしまっている」とKさんに話しました。

何となくそう感じてはいたものの、第三者から言ってもらえることで「自分の感覚は間違ってなかった」と感じることができたそうです。

AさんはKさんが自立できるように、さまざまなサービスや制度を紹介してくれました。

Kさんの母親は生活保護を受けながら在宅介護のサービスを受けられるようになり、カウンセラーへの受診なども併行して行われるようになりました。

Kさんの母親は軽度のうつ病であることがわかり、そちらの治療もできるようになったそうです。

自分の人生を生きる大切さ

Kさんは母親の介護から解放されたとき、どうしようもない不安があったと言います。

「イヤだイヤだと言いながら、ずっと母親と一緒にいたせいで自分に自信が持てなかったんです。自分はダメな人間なんだという気持ちが拭えなくて。仕事でも失敗するのが怖くて、昇進や異動などはすべて断っていました。」

それでもKさんはAさんの紹介で、福祉関係の仕事に転職することにしました。

少しでも母親から離れるために、引越しを行い、念願の一人暮らしを始めました。

Aさんは個人的にKさんをさまざまな面でフォローしてくれたとか。

「母親のケアマネジャーさんなのに、何だか昔からの友達みたいなんです。」とKさんは笑って話してくれました。

まとめ

後日、Kさんの母親のケアマネジャーだったAさんに話を聞くことができました。

Aさんいわく「Kさんは自分でSOSを発信できないほど、母親に支配されていた」そうです。

Aさんが担当する利用者の方の中にも、Kさんのような事例は増えてきているとのこと。

「親の介護という問題は根が深いんです。親子関係も多様化していて、私たちも今までとは違うサポートをしなければいけないと感じています。」

Kさんのようないわゆる『毒親』を持つ子ども世代は少なくないそうです。

小さい頃からの虐待や暴言などで自己肯定感が極端に低く、自分の人生を生きられていない人が多いことは、介護の世界でも深刻な課題となっていると話してくれました。

Kさんは現在、週に1度母親の様子を見に行っているそうですが、未だにいろいろなことを言われるとか。

それでも「今では母親もかわいそうな人なんだと思えるようになりました。今の距離感を保ちながら、関わることは続けていきたい。」と思えるようになったそうです。

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