介護を担うことになった場合、同居している家族に協力を依頼できることが理想の形です。
しかしどうしても負担が大きくなるのは、常に一緒にいる人ではないでしょうか?
これは筆者が実際に介護職として関わったあるご家族の事例です。
介護をきっかけに機能不全家族となってしまった経緯をご紹介しましょう。
もともと仲の良くなかった家族
筆者がYさん家族に関わることになったのは、要介護認定を受けた姑のKさんの入所がきっかけでした。
それまで主にKさんの介護を担っていたのは、同居していた嫁のYさん。
Kさんが認知症を発症し、紆余曲折を経て相談窓口にたどり着くまでのお話をYさんに伺いました。
嫁姑問題
-Kさんを介護するようになった経緯は?
Yさん「私たちが結婚した当初は、義父も元気だったので同居はしていませんでした。5年ほど前に義父が急に亡くなって、義母が一人になったタイミングで同居を始めました。その頃、義母は義父をなくしたショックでうつ状態になってしまったので、心配した夫が同居を決めたんです。」
-仲は良くなかった?
Yさん「義父が生きていた頃は、たまに帰省したときに顔を合わせるくらいだったので、うまくいっていました。夫はとても可愛がられて育ったこともあって、少し過保護な部分があるかなと思うくらいで。でも本格的にうまくいかなくなったのは、同居を始めてからです。義母は潔癖症のようなところがあって、私のやることなすこと気に入らなかったんだと思います。」
夫婦の不仲
-ご主人とはうまくいっていた?
Yさん「私が義母の文句を言うと、夫は必ず義母を擁護するんです。もともと家事や子育てなど家のことは一切やらない人だったのですが、私のことを義母と一緒になって責め立てるようなことをし始めました。ちょうどその頃、子ども達も習い事や部活などで家にいる時間が少なくなっていたので、夫は余計に私がやって当たり前の状態だと思っていたのかもしれません。」
-喧嘩なども頻繁にしていた?
Yさん「喧嘩というよりは、夫から一方的に文句を言われている状態といった方が正しいかもしれません。私はもめ事が嫌いな性格なので、夫に対しても義母に対しても、あまり自分の意見を言えなかったんです。」
子ども達への不満
-お子さんたちは協力してくれなかった?
Yさん「うちは息子が2人いるんですが、男の子ということもあって家のことは私が一人で回していました。義母と同居するようになって、義母が私に嫌味を言ったり怒鳴ったりすることが嫌だったようで、極力家のことには関わらないようにしているのが伝わってきました。」
-不満はある?
Yさん「ないと言ったら嘘になりますね。ただもう2人とも就職して独立しているので、切り離して考えないといけないと思っています。」
家族崩壊への序章
関係性の良くない姑の介護を担うことになったYさん。
それまでもいろいろなトラブルやストレスを抱えていたYさん一家は、姑のKさんが認知症を発症したことにより、機能不全家族への序章が始まります。
姑の認知症
-Kさんが認知症かもしれないと思ったきっかけは?
Yさん「同じことを何度も確認したり、人の名前が思い出せずにイライラしたりすることが増えたんです。もともと短気な人ではあったんですが、一度感情が爆発すると、子どものように泣きわめくこともありました。ある日、いつものように散歩に出かけて、家に帰れなくなったと警察に保護されたのが大きなきっかけです。」
-すぐに受診できた?
Yさん「できませんでした。明らかにおかしい様子があるのに、本人や夫は否定するんです。バカにしていると怒られたことを覚えています。」
-相談窓口は知らなかった?
Yさん「調べればすぐにわかったんだと思うんです。でもその頃は本当に疲れ切っていて、何もする気が起きませんでした。」
夫の単身赴任
-旦那さんの協力は?
Yさん「夫はその頃、単身赴任で家にいなかったんです。夫は仕事の関係で外国に行っていたので、ほとんど家に帰ってくることがありませんでした。2年間、たまに電話で義母の様子を伝えていただけです。」
-そのとき旦那さんは何と言っていた?
Yさん「お前の気のせいだろうと。夫は自分の母親が認知症だと認めたくなかったのかもしれません。義母の行動を心配して言っているのに、そんなはずはないとか、考えすぎだとか言っていました。」
子ども達の独立
-旦那さんが単身赴任の間、息子さんたちは?
Yさん「夫が単身赴任の間は、2人とも忙しくて、家のことは相談できませんでした。休みの日も一日中寝ていたり、出かけてしまったり。もともと義母の存在を疎ましく思っていたようで、2人とも就職が決まったタイミングで一人暮らしを始めてしまいました。」
-協力して欲しいと言わなかった?
Yさん「もちろん言いました。特に長男には助けてほしい、力を貸して欲しいと言ったんです。でも自分のことで精いっぱいだったのか、義母のことが嫌いだったのか、積極的に関わってくれることはありませんでした。」
家族崩壊してしまった理由
同居する義母・Tさんの認知症の症状は、日に日に悪化していきます。
「せめて専門外来を受診して欲しい」とYさんはさまざまな方法を試してみますが、すべて義母に取り合ってもらえません。
夫は単身赴任で不在、子ども達は就職を機に一人暮らし…Yさんに介護の負担が大きくのしかかり、ついに家庭崩壊の状態に陥ってしまうのです。
介護負担の一極化
-今の状況は?
Yさん「知り合いに紹介してもらった福祉の相談窓口で相談して、義母にはすぐにケアマネジャーの方がついてくれました。介護認定を受けられたことで、ようやくグループホームへ入所することができたんです。」
-結局Kさんの介護をしたのはYさんだけ?
Yさん「はい。ケアマネジャーさんが来てくれた頃は、何もかもがめちゃくちゃでした。義母は徘徊するようになっていたので、片時も目を離せない状態でした。鍵をかけると子どものように泣き叫んだり、ドアを壊そうとしたりしていました。でも義母が徘徊するようになって、地域の民生委員の人の目に留まって、福祉課へつないでくれたんです。」
-旦那さんは一人っ子?
Yさん「はい、そうです。義父も義母も兄弟姉妹がいないので、頼れる人はいませんでした。実父や実母も私の状況を知って助けに来てくれたことはあるんですが、義母が知らない人が家にいると大騒ぎしたので、最終的には私一人で見ていました。」
資産不足
-失礼ですが資産の状況は?
Yさん「義母はお金の管理が苦手な人だったようで、おそらく生前は義父が管理していたんだと思います。一度義母の通帳を見たのですが、義父が亡くなった後、ものすごい勢いでお金が減っていたんです。もともとそんなに裕福な経済状態ではなかったのに、洋服や健康食品が義実家に山ほど積まれていたのを覚えています。」
-ではすぐに施設に入るのも難しかった?
Yさん「母親の状態に気付いた夫が、退職金を前借りして費用を作りました。最初は家で面倒を看ると言っていたのですが、排泄のトラブルが起きるようになってから無理だと思ったみたいです。義母がまったくお金がない状態だったので、お金のかかる施設には入れられなかったという感じです。」
見て見ないフリ
-家族がうまくいかなくなった最大の原因は?
Yさん「みんなが見て見ないフリをしたことだと思います。義母の様子は明らかにおかしかったですから。一番近くで見ていた私でさえ、まだ大丈夫かも…と楽観視している部分はありましたし、夫や息子たちは本当に見て見ないフリだったんです。」
-認知症を認めるのが怖かったのか?
Yさん「それもありますが、きっと自分たちの生活を脅かされることが嫌だったんじゃないでしょうか。義母と私がうまくいかなくなった頃から、我が家には私と義母の2人しかいないんじゃないかと思うくらい、放置されていたような気がします。」
-家族に対する思いは?
Yさん「恨みや怒りはありません。それはきっと今義母が一緒に住んでいないから、喉元過ぎれば…ということかな。息子たちも義母が施設に入ってからは、何気ない顔で帰ってきます。でも本当のところどう思っているのかはわからないですね。私も離婚を考えているので、将来的には一人になる覚悟はできています。」
まとめ
Yさんはその後、ご主人と離婚し、現在は一人で生活されています。
「完全に家族崩壊ですね。」と笑っていましたが、もう一緒に暮らすことは難しかったようです。
介護の負担は、担ったことがないとわからないかもしれません…それでも寄り添う、助け合うという体制が作れなければ、やがて綻びが出てくるのは当然な結果だったのでしょう。。
姑のKさんの介護から始まったYさん家族の崩壊…これはこれからの日本であれば誰にでも起こり得ることなのかもしれません。