事例集

【事例集】介護うつで苦しんだ娘の告白・希死念慮に苛まれた日々

介護者に関する問題は、各家庭の状況によってさまざまなケースが考えられます。

問題なく介護を行っているように見えても、実は介護者自身が『介護うつ』という病に侵されていることも少なくありません。

この記事では、筆者の知人であるTさんの介護に関する事例をご紹介します。

介護うつに悩んだTさんの壮絶なエピソードを取材しましたので、ぜひご一読ください。

介護うつの実態

厚生労働省が実施した「平成22年国民生活基礎調査の概況」の「同居の主な介護者の悩みやストレスの状況」の調査では、介護者の状況が報告されています。

同居の主な介護者について、日常生活での悩みやストレスの有無は「ある」が60.8%・「ない」が22.7%。

性別にみると、「ある」と回答した人の性別は、男性が54.2%・女性63.7%で女性の方が多くなっています。

また、悩みやストレスの原因としてもっとも多くの人が回答したことが「家族の病気や介護」で、男性が68.7%、女性が74.5%。

この調査結果からは、介護者が多くの悩みやストレスを抱えていること、男性よりも女性の方が悩みを抱えている人の割合が多いことがわかります。

Tさんのプロフィール

Tさんの事例を紹介する前に、Tさんのプロフィールをご紹介しましょう。

  • 50代女性
  • 未婚(離婚歴あり)
  • 一人娘
  • 父親は60代で他界
  • 母親からの依存が大きい

Tさんは30代で離婚の経験があり、その際に離れて暮らしていた母親と同居をすることになりました。

子どものいなかったTさんに「実家に帰ってくればいい」と言ってくれた母親の言葉が、一人ぼっちだった自分を救ってくれたと言います。

しかし、数年後には、母親の介護という問題がTさんに降りかかるのです。

在宅介護の負担

Tさんは一緒に暮らしていた母親の異変に気付きます。

年齢的にも『介護』という選択肢はあるだろうと思っていたそうですが、そこにはTさんの思いもしなかった在宅介護の実態がありました。

認知症を認めない母親

ーお母さんの異変とは?

Tさん「綺麗好きだった母が、まったく掃除をしなくなったんです。台所の洗い物もそのままだし、着ているものも洗濯しなくなってしまって。話していることなどは変わらなかったんですが、あれほど綺麗好きだった母が…と違和感を感じました。」

ー認知症?

Tさん「かかりつけのお医者さんにいろいろ検査をしてもらって、認知症だと診断されました。病院でケアマネジャーさんも手配してもらって、介護保険の申請まではとてもスムーズに進んだんです。でも、私も仕事をしていたので、日中は母一人になってしまいます。そのため、ヘルパーさんやデイサービスの利用をケアマネジャーさんが提案してくれたんですが、母親がすべて拒否してしまって。」

ー拒否とは?

Tさん「自分が認知症だということをまず認めないんです。あれもできる、これもできる、だから大丈夫と頑なにサービスの利用を拒否してしまって。デイサービスも迎えに来てくれたのに行かなかったり。母は社交的な人だったので、お友達ができると言ってみたんですが、あんなところに私は行く必要がないの一点張りでした。」

「娘なんだから」という呪縛

ー昼間の生活は問題なかった?

Tさん「最初のうちはせいぜい家事をしない程度だったので、問題なかったと言えばなかったんですが、そのうち徘徊が始まってしまいました。本人は「スーパーに買い物に行くつもりだった」「友人の家に遊びに行くつもりだった」ともっともらしい言い訳をしていましたが、結局帰れなくなって保護されることが増えたんです。」

ーTさんの対応は?

Tさん「母に私も仕事をしているから、日中だけでもデイサービスやヘルパーさんを利用して欲しいとお願いしました。でも母は「あなたが娘なんだからあなたが看てくれればいい」の一点張り。「娘が親の面倒を看るのは当たり前でしょ!」とかなり怒った様子でした。」

ーTさんは介護離職をした?

Tさん「最終的には、仕事を辞めざるを得なくなりました。母がとにかく私がいないと落ち着かなくなって「私を捨てるのか」「私が育ててやったのに」など、暴言を吐くようになってしまって。仕事も一旦は介護休暇を申請したのですが、復帰できずにそのまま退職となりました。」

自分の異変

介護のために離職したTさんは、その後認知症が進行していく母親と2人だけの生活を送り始めます。

Tさん自身に異変が起き始めたのは、介護離職をしてから1年ほどが経った頃でした。

食欲不振と不眠

ーTさん自身に異変が起きたことに気付いたのは?

Tさん「まず食欲がなくなりました。私は食べることが大好きで、料理をすることも好きだったのに、何も食べたくないし、何にも作りたいと思えなくなったんです。最初は疲れているだけかと思っていたのですが、そのうち眠れなくなってしまいました。身体はとても疲れているのに、頭が冴えて眠れないんです。」

ー誰かに相談した?

Tさん「この頃は母も落ち着かなくなってきていて、母のことは施設の人や支援センターの人に相談していたのですが、私自身のことは誰にも相談できませんでした。」

ー誰かに相談していれば良かったのかも

Tさん「はい。本当にそう思います。母のことで頭がいっぱいで、早く施設に入れないと2人ともダメになるという焦りだけはあったんです。だけどSOSの出し方も出す相手もわからなかったんですね。病院にかかることすらも「時間がない」と思い込んで、行かなかったのがいけなかったんだと思います。」

介護うつかも・・・

ーTさんが「介護うつかも?」と感じたきっかけは?

Tさん「テレビの番組です。ドキュメンタリーで在宅介護の話を放送していて、介護者の息子さんが介護うつになったという内容で。その息子さんの症状と私の症状がとても似ていたので、もしかして…と思いました。」

ー受診は?

Tさん「友人に紹介してもらって、メンタルクリニックへ行ってみました。睡眠薬と精神安定剤を出してもらったんですが、私には合わなくて。睡眠薬を飲むと朝起きられなくて頭痛が酷いし、精神安定剤も胃がムカムカして飲み続けることはできませんでした。」

ーその後は?

Tさん「結局時間も取れなくて、というか、病院へ行く気力もなくて、通院はしませんでした。薬が合わないなら会う薬を出してもらえると友人にも言われたんですが、どうしても体が動かなかったんです。今考えると、この時点でもうアウトなんですけどね。」

介護うつの苦しみ

受診時に処方された薬が合わず、その後の通院もできなくなってしまったTさん。

Tさんの症状は徐々に悪化していき、希死念慮に苛まれるようになったと言います。

毎日死にたい

ーうつ病の症状は悪化した?

Tさん「はい。食べられない・眠れないという状態は続いていて、体力も落ちちゃうし、体重も5キロ以上減ってしまいました。その頃から、漠然と「死にたい」というワードが頭の中に浮かぶようになって。母のことも自分のこともどうでもよくなって、このまま死んだら楽だろうなと考えることが多くなりました。」

ー以前に希死念慮を感じたことは?

Tさん「一度もありません。離婚したときもかなり参りましたが、死にたいとまでは思いませんでした。この世に対する執着がなくなった、執着したくないみたいな感情と言えば良いのかな…今まで感じたことがない感情だったので、最初は自分でも「おかしいな」と思ったんです。でもそのうち、おかしいと感じることもなくなってしまいました。」

楽しみのない人生

ー気分転換になるような趣味はあった?

Tさん「以前は職場の友人とゴルフへよく行っていました。旅行も好きで、連休には一人で出かけることも多かったんですが、楽しいと思えていたことにまったく興味がなくなったんです。母から目を離せないということもあって、楽しいことは何もないと思っていました。」

ーお母さんの状態は?

Tさん「暴言というか、病気のせいなんでしょうけど、私につらく当たることが増えてきていて、朝から晩まで怒られたり嫌味を言われたりしていました。でもすごいなと思ったのは、ケアマネジャーさんの訪問日には、すこぶる機嫌が良いんです。きっと自分は大丈夫っていうアピールをしたかったんだと思います。」

ー施設への入所や拒否は続いていた?

Tさん「はい。ケアマネジャーさんもいろいろな施設やサービスを紹介してくれたんですが、母はとにかく全部拒否で。ケアマネジャーさんの話は「はい。はい。」って聞いてるんだけど、何かを提案されると、急に黙りこくってしまって。でも、もう限界でした。」

介護うつからの脱却

この頃から、ケアマネジャーさんはTさんの異変に気付いていたと言います。

Tさんが介護うつを克服できたきっかけとは何だったのでしょうか?

ケアマネジャーの一言

ーTさんが介護うつを克服することができたきっかけは?

Tさん「ケアマネジャーさんが私の様子を心配してくれたんです。母を入所させるためにいろいろ動いてくれていたんですが、私のケアも必要だと言って、レスパイトケアのサービスを提案してくれました。母は介護サービスは嫌がっても、病院へ行くことは嫌がらなかったので、病院と偽って施設の一時入所をしてくれたんです。」

ーお母さんは問題なかった?

Tさん「私ではなく、ケアマネジャーさんや看護師さんたちが「検査をしましょう」という前提で連れて行ってくれました。私の状況を心配したケアマネジャーさんが、その期間に精神科を受診して、私に合う薬を出してもらいました。母と同居するようになって、初めてゆっくり眠れたのを覚えています。」

母親の入所

ーその後、お母さんは?

Tさん「一時入所でもあまり混乱せずに過ごせたんです。検査ではかなり認知症が進んでいると診断されて、病院の先生から「施設での手厚い介護があった方が良いのでは?」というアドバイスを受けたそうなんです。母は、私のことよりも自分のことが中心になっていたので、何も考えずに自分で施設入所を決めていました。」

ーずいぶんあっさり…

Tさん「ケアマネジャーさんが言うには、その施設の雰囲気やスタッフさんがとても気に入ったようです。その施設に入所することはできなかったのですが、以前からケアマネジャーさんが探していた施設がいくつかあり、その中の一つに決めて入所しました。家から出発するときも、ニコニコ笑っていたので、ホッとしました。」

まとめ

母親が入所後、Tさんは治療に専念し、今では仕事にも復帰することができました。

母親の認知症の介護は、Tさんにとって大きな負担となっていたことは確かです。

当たり前のことをするのにも時間が取れないという状況は、自分の異変にも対応できない怖さがあります。

Tさんが介護うつを克服できたきっかけは、ケアマネジャーさんの存在と、適切な対応がポイントでした。

Tさんのお話を聞いて、認知症の方の介護の難しさや、介護者自体のケアの大切さを痛感しました。

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